今泉記念ビルマ奨学会

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「致知」2013年10月号 

今泉会長の話が記事になりました。


「亡命者」 高橋有恒著

第二次世界大戦中、日本と協力して反英闘争を行ったビルマのバー・モウ首相は、日本の敗色が濃い昭和19年に日本に亡命しました。その時、亡命先に指定されのが、新潟県石打村薬照寺でした。亡命から、日本の敗戦、進駐軍への出頭まで、バー・モウ元首相の薬照寺での日々を描いた話です。

この話のなかの今泉隆平氏は、この奨学会の会長今泉清詞氏の長兄です。


著者あとがき
この小説を書いた動機は、筆者(高橋橋有恒)が昭和三十六年十一月一目、京京、お茶の水駅近くの駿台荘旅館の日本間で、かつてのビルマ独立運動の元国家主席バー・モウ博士と、その日本亡命中かくまった今成拓三、今泉隆平両氏との十五年ぶりの再会の席に直接立ちあったからです。これは、あくまで小説でありますが、今成、今泉氏など極く一部の方は実名を用いました。

ちなみに亡命先の新潟県石打村薬照寺は筆者の郷里の隣町にあり、現在はスキーやゴルフ場に開発された中に、昔ながらのたたずまいいで静まっています。寺には、博士の住んだ書院にペン字の書や写真が保管されてあります。

また筆者は昭和四十九年三月二十二日、バー・モウ博士に再度、逢うべくビルマのラングーンを訪れましたが、政治上軟禁の形であったので、逢うことが許されないで空しく帰りました。昭和五十二年五月二十八日にバー・モウ博士はラングーンで死去、八十四歳でした。大東亜共栄圏の東南アジアの指尊者、チャンドラ・ボース(インド)、ホセ・P・ラウレル(フィリピン)、ピブン(タイ)各氏の死後、唯一の生き残りでした。

現在、巣鴨拘置所はとりこわされ、サンシャイン60の超高層ビルが建ち、昔の牢獄に囚われた人ひとの夢は跡方もなくなりつつあります。そして、東南アジア諸国は独立したものの今な流動状態です。

昭和五十四年四月八日
高橋有恒



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