今泉記念ビルマ奨学会

関係者の感想

関係者の感想

創立20周年(2009年4月)の時の祝辞や卒業生の感想を載せました。

ウラミンミャンマー連邦駐日全権大使祝辞

今泉清詞様と本日出席している学生の皆さん、

ミャンマーの新年を迎えて、今泉記念ビルマ奨学会創立20周年祝賀会と第21回総会の場においてこのように皆様の前でご挨拶させていただくことを、大変にうれしく光栄に思います。

今泉様が勉学に向上心を持っているミャンマーの学生に奨学金を授与してくださってから20年が経ち、その数が今では178人にのぼっていることを私としても大変に有難く、また光栄に思っていままた今泉様はご自身で援助して下さっているだけでなく、ロータリー米山記念奨学会からの奨学金授与についても、ご尽力くださっていることをこの場をおかりして、御礼申し上げます。

加えて、ミャンマー国がさらに発展するよう、国際ロータリー第2570地区の会長である鈴木勲二会長ほか会員の皆様も2005年よりミャンマ一国の僧侶たちの学校に寄付を下さっていることに感謝しております。今後もこの活動が継続していく様、宜しくお願い申し上げます。

さらに、今泉様のご支援によって鶴ヶ島市の国際交流協会よりミャンマー国の子供たちに学用品をお送りくださっていることにも御礼申し上げます。
(また今泉様と今泉様よりご支援いただいている学生たちが先頭に立ち、ナルギス・サイクロンの被災者のために寄付金300万円と衣服、食料、薬などを寄付していただいたことをこの場をお借りして御礼申し上げます。)

このように今泉様がご自身の財産をご自身のためのみならず、ミャンマーの学生たちに奨学金としてご支援くださるだけでなく、ほかの団体からも支援を受けられるよう、ご尽力くださっていることに、今泉様のミャンマー人に対する思いやりを感じ、誠にありがたく存じます。

ミャンマーの学生たちも自分自身の勉学を支援してくださっている、今泉様やほかの皆様の誠意を思って、さらに勉学に励み努力するよう奨励いたします。

国が発展するために教育の充実は欠かせないものだと私自身感じております。今泉様がミャンマーからの俊秀な学生たちに奨学金を授与して下さり、さらに僧侶の学校のための寄付についてもご尽力下さっていることなど、教育分野を充実させ高水準を持てるようにご支援くださっていることは、言い換えれば長い歴史の中で深く結びついている日本とミャンマーの国家問、国民同士の友好がさらに発展するために貢献しているとも言えるのではないかと、私自身感じております。

最後になりましたが、ミャンマーの新年において本日お越しになられた皆様のご多幸をお祈り申し上げます。また今泉様のご健康とさらなるご活動をお祈りし、会員の皆様の目標である「日本とミャンマ一両国の深い友好関係が末永く続くこと」 ということがこれからも長く実行されることをお祈り致します。そしてミャンマ一国の教育分野がさらに発展するためにこれからもご支援いただけますようお願い申し上げ、結びの言葉と代えさせていただきます。


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国際ロータリー第2570地区直前ガバナ一 真下和男様

今泉記念ビルマ奨学会20周年おめでとうございます。

2009年4月26日今泉記念ビルマ奨学会20周年記念式典が今泉ビルル3階で駐日ミャンマ一連邦大使ラーミィン氏を始めとする多くのミャンマ一大使館のメンバーと今泉記念ビルマ奨学生のOBと現役の若者や奨学会を支えて来た地元の鶴ヶ島市長藤縄善朗氏を始め今泉さんの戦友等多くの心暖かい人々と共に国際ロータリー第2570地区ガバナーとしてお招きを頂戴したので喜んで参加させていただきました。

当日は次の加藤ガバナ一年度の地区協議会が新座の立教大学・高校で開催されましたが途中退席させていただき、大変有意義な時間を持つことができました。私は55クラブ約2000名のロータリー会員を代表して参加させてもらっているとの費任と誇りを感じました。当日参加されていた米山奨学会の副理事長金子千侍パストガバナーも同様の想いであったろうと思います。ミャンマーから多くの米山奨学生を輩出しているのも今泉パストガバナーと金子パストガバナーのご協力のおかげで両奨学生を併せ多くのミャンマーの若者を支援した輝かしい、実績が継続できたのでしょう。

地区大会でW.C.S.寄金の贈呈
4月19日の第2570地区大会において、私はミャンマーの活者達に寄金50万円を贈呈することができました。
書き損じハガキの回収や善意のロータリアンの寄金がその源泉です。 書き損じハガキの回収は所沢市や深谷市の自治会のご協力が特に大きく、世界の識字率向上運動(W.C.S.) として東南アジアに学校建設や里親制度を展開してきましたが、ここ数年ミャンマーにも拡大し、本年は過去最高の善意を贈呈することができました。

ミャンマーと日本は共通点が多い
納豆があるかと思えば赤飯もある。もち米を妙って固めた雷おこしも売っているし琵琶湖名産の鮒ずしの類も。。。。。どこかの物産展の話ではない。写真家の森枝卓士さんが「東南アジア食紀行」でつづるミャンマーの山村の市場風景だ。
「とにかく、次から次へと日本を思い起こさせるものが登場する」と森枝さんは驚いている。どうやらかの国には日本文化のルーツのひとつが潜んでいるのだろう。人々の風貌もまた私達と似通っていて親近感を覚える。(日本経済新聞平成21年8月13日夕刊)

今泉記念奨学会は20年間も継続してきました。今泉さんが第二次世界大戦時のビルマの皆さんの暖かい気持ちに応えてきたもので、今泉さんを中心としたごく一部の人々の善意で必ずしも広く広報されていないし、今泉さんのそういうことにはこころよしとしないお人柄もあります

私は国際ロータリーに1地区1件の広報補助金企画に応募しました。この長い実績は補助金申請にふさわしいものと、補助金の2倍の予算を地区から支出してDVDを作成、ケーブルテレビで埼玉県内に何回となく放映し、各クラブにもDVDを配布しました。
ロータリーは良いことを積極的に広報し、ロータリーの公共イメージアップに努め、感動を共感し、新たな会員の増加をもたらし、新たな行動を求めています。この主旨に大変役立たせていただけたと自負しています。
今泉会長やサポートの会員も高齢となられ、その崇高な想いを維持するのはだんだん困難になることも予想されますが、いろいろ工夫をなされ、時代に対応しながら発展維持されることを心より念じあげます。

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ロータリー米山記念奨学会副理事長金子千侍様

今泉記念ビルマ奨学会創立20周年記念式典をお祝いして

本日は今泉記念ビルマ奨学会創立20周年記念式典、誠にお芽出とうございます。心からお祝い申し上げます。

私は、この栄えある式典にロータリー米山記念奨学会副理事長としてお招きを賜わり、お祝いの言築を述べさせていただきますこと、身に余る光栄と深く感謝申し上げる次第であります。

今泉清詞会長と同じお心をお持ちの方々に依って設立された今泉記念ビルマ奨学会は、崇高な人間愛に凝縮した素晴らしい知的国際貢献の奨学会であります。

会長の今泉先生は私の最も尊敬するロータリーの大先輩ガハナーでおられます。先生はロータリー哲学を地で行く正義感に満ちた筋金入りのヒュウマニストで、私など常々人間としての教えをいただいております。

今泉先生よりお聞きしております今泉記念ビルマ奨学会設立の動機となったお心とは、第二次世界大戦時、ビルマ戦線での生死の際をさ迷いつつ過酷な撤退を余儀無くされた私達日本人に、ビルマの人々から受けた暖かい人間愛に強く感激して、ビルマの人々に何らかの恩返しをしたい。こうして心を寄せあったお仲間の方々と共に、ビルマ奨学会が設立されたのだそうであります。

こうして、20年問、沢山のビルマの若者に奨学金と共に学びを与えてこられたのであります。文この奨学生の中から引き続き三十名近い方々がロータリー米山記念奨学生となられ、博士号も取得されておられます。

併し、このビルマ奨学会を20年間支えてこられた大本には、莫大な奨学金、そして並並ならぬ業務的、精神的な困難がありました。私は常々、今泉会長を中心としたお仲間違の困難を乗り越え、心を一つにした尊い絆と友情によってなされた社会貢献、国際貢献であり、本当に凄い事をされる人々であるなと、只只感動、脱帽の念いであります。

今年20周年を迎えた今泉記念、ビルマ奨学会に士iし、改めて筆舌に尽くせぬ感動のまつ、お祝いの言葉とさせていただきます。本当に、本当にお芽出とうございます。


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鶴ヶ島市国際交流協会会長岸田近典様 「ミャンマーの未来のために」

今泉記念ビルマ奨学会が設立20周年を迎えますこと、心よりお祝い申し上げます。20年の長きにわたり、今泉会長をはじめ役員の皆様方が、ミャンマーの未来をになう若者達のために、奨学金だけではない「人と人との交流」に心をくだいていらっしゃいましたことに、尊敬の念を禁じ得ません。

鶴ヶ島市国際交流協会では、ホームステイやお茶会、ミャンマー料理教室など、いろいろな形で奨学生との交流を行ってきました。なかでも、ミャンマーへ文具を贈る活動は、元ミャンマー学友会会長ウ・ミン氏のミャンマーへの熱い思いと今泉会長の次のような言葉からはじまりました。

「ミャンマーは敗戦直後の日本と同じような状況である。都会は確かに立派になり、物資も豊かになってきたが、今でも、貧しさから学校へ行けない子ども達がいる地域がある。できれば鶴ヶ島市民の方たちから集めた文具をそういう困っている子どもたちへ贈りたい。」

国際交流協会としましても、市民一人ひとりが文具の寄附を通してミャンマーや国際理解ということに一層の関心をもてるのであればと、さっそく市の広報で文具の寄附を呼びかけました。現地での文具の配布についてはミャンマー学友会の皆さんにご尽力いただきました。
今後も学友会の皆さんが、お互いに切磋琢磨し、多分野にわたるネットワークを生かしてミャンマーの発展に寄与されることを期待します。
最後になりましたが、皆様のご活践と今泉記念ビルマ 奨学会・ミャンマー学友会の益々のご発展を祈念申し上げます。


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鶴ヶ島市長藤縄善朗様

創立20周年おめでとうございます。
今泉記念ビルマ奨学会が、このたび創立20周年記念を迎えられましたことを、心からお祝い申し上げます。また、この問、ビルマからの留学生を|暖かく見守り支え続けてこられた今泉会長をはじめ、役員の皆後方のご尽力に心より敬意を表します。

さて、今泉記念ビルマ奨学会は、今泉会長が太平洋戦争に従軍し終戦を迎え、その際、戦地となり甚大な被害を被ったはすのビルマの人々が、自分たち日本兵を温かく、そして命がけでかくまってくれた、その恩に報いる「思返し」の思い、「ビルマの人たちのために」というただ一念で創められたと伺っております。

奨学生の皆さんが、家族や友人と離れ、言葉も生活習慣も異なる遠い日本に来られて、勉学や学術研究に取り組む苦労は、大変なものだと思います。しかしながら、月に1度、ここに集まり同郷の友や先輩、奨学会の皆さんと会えることで、人の思いやる心や温かい愛情に触れ、それが「励み」になり「支え」になり、「絆'」 や「力」になっているものと思います。

また、それこそが今泉会長が願う、これからのビルマを担う若者に持ち続けて欲しい「人の和」であると思います。
この奨学会の深く大きな愛情を一身に受けられた皆さんは、必ず将来のビルマを担い、日本や世界各地でご活躍されると確信しております。奨学生の皆さん、祖国ビルマのため、今泉会長の気持ちに応えるために、これからも一生懸命勉強するとともに、たくさんの経験を生かし、大きな志を胸に世界に羽ばたいてください。

今後とも、奨学会並びに学友会のますますの発展と皆織のご健康と限りないご活躍を祈念申し上げまして、お祝の言葉といたします。


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顧問 品川 義雄様  「春は花 夏ほととぎす 秋は月」

今泉記念ビルマ奨学会の創立二十周年、おめでとうございます。
こころからお祝い申し上げます。

はじめに、私の好きな和歌を一つ。
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり
道元禅師(1200-1253)の「本来の面目」 と題するこの歌は、日本の四季の情景をそのまま詠んだものですが、その心情は、物象を超えたより深いところに注がれていたのであります。
自然(NATURE)という言葉がつかわれる以前の日本においては、山川草木、森羅万象そして人間とその感情をも含めて「自然」という伝統があったようであります。

雲を出でて 我にともなう 冬の月 風や身にしむ 雪や冷たき

明恵上人(1173-1231)のこの歌にも、禅堂へのみちすがら山の端に見えかくれする夜半の月、暁の月を友としながら禅観、思索する明恵上人の細やかな心遣いがしみじみ感じられるのであります。

ついでに、月に因んだ主な異称をいくつか。
陰暦の月のはじめに出る月を初月、ついで三日月、十三夜、待宵(十四夜)、十六夜、月の出がだんだん遅くなるのにしたがって立待月(卜七夜)、居待月(十八夜)、寝待月(十九夜)と立って、坐って、寝て待つ月などと呼んでいました。月は無情と言いながらも、そこに寄せる日本人の情趣の深さというものが感じられます。一方、人を育み、人が培ってきた農村的自然。そこには人の心が宿っています。

春寒に咲く桜の花や 山肌にのこる残雪の形を目安に田を鍬き、水を引き、種苗を播いてきました。その長関かでやさしい自然にも天変地異は容赦なく襲いかかつてきました。

そのたびに人びとは自然を畏怖し、自然に順応する知恵を身につけ、その術を講じてきたのでありました。
輪中や霞堤は水を抑え、あるいはやさしく制御して「むら」を守ってきた証でもありますo

また、「暦」は、「春耕秋収」- (春耕し、秋収穫)を一年のくぎりとしていた時代より農にかかわる行事や暦注が多かったようであります。
なかでも「彼岸」「八十八夜」「二百十日、二百二十日」などは日本独特な暦注として、いまなお日常生活や農作業の目安となっています。

早苗とる 夏の始めの 祈りには 広瀬滝田の 政をぞする

田植えには、神を招き「さな(早苗)ぶり」の祭りをしたのであります。そこには超自然的な神とのはかり知れない契の世界があったのです。日本の道徳的精神文化もまた、この風土のなかで生まれてきました。

鎌倉時代(十二、三世紀)、公家にかわって武士が政権を握るようになると、人の生死につよくかかわってきた武士にとっては、共同体としての武士階級を維持するだけでなく、対外的にも権威を保つ必要がありました。そのためにも武士が武士としての規範と道徳が求められてきたのであります。

武士道は「不言不文」- (語られず、書かれざる掟)として武士階級の聞に深く、静かに広まっていったのでした。
新渡戸稲造(1862-1933)は、その著「武士道(1900))」のなかで義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義の一七つの徳目を掲げています。

その徳目を平易にいえば、「自分の立場や物の道理をわきまえ、自分のやるべきことはきちんと果たし、正しいことは命をはってでも守り、愛や憐憫、慈悲の心をもって人を思いやり、嘘やごまかしで仲間を裏切らず、部下の過ちは自分の過ちとする。このような気高い精神こそが武士道の真髄である」というものでありましょう。
封建制度という主従関係のなかで生まれた武士道ですが、その精神は、いまの社会にもそのまま通用します。

その思想的背景は、鎌倉時代道元禅師によってひらかれた「禅」の影響を受けたことは確かであります。

新渡戸は、武士道を説くにあたって剣道の達人柳生但馬守宗矩(1571-1646)の言葉を引用して臼く、「宗矩がその門弟に業の極意を教え終わったとき『これ以上は余の指南の及ぶところではない、あとは禅の教えに議らなければならない』そのさきは思想の領域、瞑想の世界で努力しなさい。」と諭したのであります。

これに似た話題をもう一つ添えておきましょう。
文豪夏目激石(1867-1916)の小説「門」の主人公野中宗助は、誰;にも言えない不安に苛まされ、その救いを鎌倉の禅寺に求めました。

そこでは拭き掃除の修行を先輩住職に、いつも遅れをとりながらも何日か過した後、ょうやく老師に呼び出され、与えられた公案(修行僧に課せられる禅の設問)は「父母未生以前本来の面目」というものでありました。宗助は何日も考えた末、答案を持って老師を尋ねたのですが、老師から「もっと ぎろり」 としたところを持ってきなさい」 と一蹴されてしまい、すごすごと禅寺の門を後にするのでした。

実は、減石も参禅の経験があったのです。漱石はその後イギリスに留学。そこで惨憺たるたる文学的彷徨を経験しています。その悪戦苦闘の末「不安と憂苦から逃れる道は、自分でつくる外に自分を救う道はない」ことを悟ったのであります。

それにしても激石は、小説「門」で投げかけた公案にはとうとう答えを出していませんでした。宗矩が門弟を諭したこととどこか似通っています。

西欧で発達した留学は知を愛する「学び」の哲学でありました。
先哲皆を乗り超えて真理「世界と自分、自分とは何か」-を究める学問であります。これに対して、日本のそれは、仏教や儒教など東洋思想の影響をうけて発達した「教え」の思想であります。

古くは、自然と一体となって修行する「修験実証」、身をもって実践体得する「知行合一」 の厳しい教えの世界から生まれてきた道徳の思想だと思います。
さて、大分回り道をしてきましたが日本人の自然観、その美意識、そこで育まれた伝統的「日本のこころ」、その原点もここにあったのではないでしょうか。

奨学会の皆さん、皆さんの前にはこのような日本のこころ、武士道精神を体現し、気骨然とした御仁がおります。

奨学会を創設し、以来二十余年の物心両面にわたって皆さんを見
守ってきた信念の人 今泉清詞さん、その人です。そのもとで慧眼に接し直接ご薫陶を受けられた皆さんは、誇りをもってこれからの人生を精進努力してください。


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顧問 衆議院議員 土屋品子様

設立20周年を心からお慶び申し上げます。
「ますますの発展を祈念して」
皆様方の活動を通してビルマ・日本両国間の交流がより一層盛んになりますようお祈り致します。
貴会のご発展と皆様方のご健勝を心より祈念申し上げます。


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理事 田渕甲太郎様

今泉記念ビルマ奨学会の新しい発展と奨学会の20年に感謝をこめて

今泉清詞会長が戦争中にビルマ の人々から受けた数々の限りなき親切に対して長年胸に抱いてきた報恩の構想を昭和59年いよいよ実行に移されたと記されております、奨学会の設立を決断されてからすでに25年の時が流れております、若者の教育こそ不滅の大事業と決断され「今泉記念ビルマ奨学会」を設立されて20年と言う時が流れました。

私も今泉さんのお誘いを受けて平成5年皆様のお仲間に入れていただいて15年が経過いたしました、何が出来たのかといつも反省ばかりです。

この15年の問今泉会長さんが若者に対する対応・指導方法等々についていつも身近で拝見し、尊敬と憧憬と自分自身の勉学の日々でした。
1989(昭和64)年初代会長チイレイさんほか5名の採用以来19期生まで197名の前途ある若者を一人の違反者もなく一人の脱落者もなく、どうゅう方法で教え導いたのでしょうか?

若者たちは遠く祖国ビルマ を離れ、言葉の問題・社会組織・経済関係・生活習慣その他全ての面で180度違う日本に来て大きな困難と挫折に遭遇した事と思われます。その上青春・多感な若者にとっての大都会東京の騒音・誘惑・孤独に耐える若者の日々の生活を思うだけでも心が痛みます。

又ビルマの若者達は厳密には出身地も・宗教も・民族も・言語も違うと言うことも現実です。(こう言う事は失礼かもしれませんが、お許し下さい)

一方次代のビルマを背負う指導者を育成する、と言う世紀の大事業に取り組む今泉会長さんは、誠実・謙虚・人々への報思・社会への報恩等々今泉さん自身の完成された、人間性そのものを、淡々として飾る事無く毎月今泉邸を訪れる若者たちに、人間として如何に生きるべきかを、自分の子供以上の愛情をもって熱く語りかけ暖かく見守り、指導されたと思います。

学生遠の悩みや前途に対して心からの指導と、人間としての誠実を基本とした徳育と情操の教えは若者たちの一人一人の胸の中にしっかりと根を下ろし、今や立派な事業者や医学者・教育者・会社の部課長・などなどすばらしい人材を育てあげ、日本経済にも大きく貢献しております。

今泉さんが時折言われる、20人の博士を含む197人の子供を持った私は日本一の幸せものだとユーモアたっぷりに語られる時の笑顔は大事業を完成された人だけに許される喜びでは無いでしょうか、私は世界一の子福者だと思っております。

20年と言う長い歳月をかけて育て上げた優秀な若者達の今後の活躍と更なる発展の為に、今泉会長さんは奨学会の将来を見据えて更なる決断をされました。平成21年6月21日九段会館に於ける「総会」に於し、て「奨学会と学友会」大同団結し「今泉記念ビルマ奨学会」一本とし会の「企画・運営・その他」全てを若者たちの自首運営に任せると言う、今泉奨学会を将来に向けて発展継続すると言う大道を選択されました、今泉さんは如何なる名誉も栄光も「私」すること無く、すべて周囲の人達の幸福の為に行動される偉大な人物である事を確信し更に尊敬と自習の宝として私の後世の道に致したいと思います。

私も理事と言う責任の中で何一つの事故もなく無事に終わることが出来ました。有難うございました。今後は一会員として皆様と共に今泉記念ビルマ奨学会の楽しい諸行事に参加し、若い方々のエネルギーを戴きたいと思います。 何か少しでもお役に立てることがあれば、遠慮なくご相談ください。

老兵は老兵なりの社会経験も豊福ですから、奨学会の皆さんはすでに日本人の生活の中にすっかり溶け込み、日本人の若者より、礼儀正しい日本人らしい若者に変身しております。皆様、今後も健康に留意してそれぞれの分野で一層の精進を重ね、長年今泉会長さんからいただいた心暖まる「教訓と人間としての生き方」をしっかり胸に抱いて大きく飛躍してください、と共に日本国とミャンマ一国の友好親善の親善大使として今後のご活躍をお祈り致します。

ビルマの皆さん、今泉会長さんから戴いた数え切れない大きなご恩を今泉記念ビルマ奨学会創立20周年に寄せてをお返しするのはこれからです、決してご思を忘れないで下さい。
お願いいたします。

今まで皆様から裁いた暖かいご厚誼にただただ感謝・感謝、老兵も今だ元気です。今後もよろしくお願い致します。
(私はビルマと言う言葉が大好きです。文中のビルマお許しください。)


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理事 廼島哲郎様 「チェーズーティンーバーデー」

振り返ってみて見て私達が一体何をして差上げたのか、私自身何もしてあげられなかったと汗顔の至りです。

今泉会長が日ごろから言われている「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻んで」。会長の物質両面に亙る努力は我々と比べられるものではありませんが、各々出来る範囲で、協力を惜しまなかったと思います。

コヒマ、インパール激戦で散軍された英霊の慰霊顕彰は
生き残った私達、私達の勤めです。これを助けて下さったビルマの方々の事、忘れてはならないことです。 残り少ない余生を感謝の気持を持って送りたい念願いたします。
チェーズーティンーバーデー


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理事 吉野野秀一郎様「ミャンマーの将来を双肩に担う諸君」

今泉記念ビルマ奨学会が創立20周年を迎えられました事を心からお喜び申上げます。

この事業が創立20周年を迎えた事は、ビルマの将来を担う若者達の生活を助け、勉学への意欲を盛り上らせ、望郷の念、に馳られ勝な若者達に日本の父親として安らぎを与え、又、仲間達との談笑によって互いに連帯感を強め、遂には堅固な学友会が出来上がったと云う偉大な成果を達成されたと云う事でありました。

これは、他の奨学会には見られない成果で、今泉会長の発想、による、単に金銭的援助だけでない、血の通ったやり方であった事が、立派な学友会結成につながったものと云えます。
この様な偉業を達成された事に対して、心からお喜びを申上げたいと思います。

この大事業を成し遂げられたのは、奨学会並びに学友会の役員の皆様のご尽力、御協力によるものではありますが、その原点は矢張り、今泉会長とその人のお人柄によるものであり、誠意一筋の御考えに基づく事は明白であります。

そして、その会長を陰で支えて下さった奥様のマサ夫人、ごl長男の今泉博様を始めご家族の皆様方のお力添えの賜でありました。創立10周年記念に、ビルマ英霊顕彰会の会長三津線一氏が、110年間継続された今泉奨学会の業績は、まさに、国際親善の白眉であるJと云われた言葉を想起し、今泉会長始め御一家の皆様に万雷の拍手を贈り度いと存じます。

この様な大成果を揚げて来られた今泉奨学会が、今年から、更に新しい方針の下に、新組織を作り、再発足する事であります。今泉記念ビルマ奨学会創立20周年に寄せてこの一月に、今泉会長から発表された内容は「今年から奨学会の支給は停止する」更に、「従来の奨学会と学友会の組織を合併して、学友会から選出された役員を中心にして、若い人達に運営を任せたい」と云うものでした。

初めは、会長のお考えの斬新さに、一瞬、とまどいを感じましたが、直ぐに、私共の戦友会の経験から考えて見て、成程と納得し、感服した次第です。

創立15周年記念号でも書きましたが、私共の出身母体であるビルマから帰った戦友会は、1 0年前頃から戦友の老令化が進み、会員の減少と事務局担当者の欠乏から運営困難となり、戦友団体の解散が相次ぎ、従って戦友会を団体会員としていたビルマ英霊顕彰会も会員が居なくなり、遂に、平成16年5月に解散して、戦友会としてではなく、個人を会員とする全ビルマ会に改めて今日に至って居る次第です。

全ビルマ会として、ようやく、従来からの業事を継続してはいるものの、私も今年は90才を迎えますので、愈に、若い人へのバトンタッチをしなければと、手探りで、その方法を探して居る所でしたから、今回の今泉会長の新方針が、誠に適切な処置であったと実感された次第です。

新しい奨学会には、今泉会長の御長男博様の他に、御次男で税理士の俊明様も御協力戴けると伺って居りますので、会長としては若手へのバトンタッチは着々と推進されている訳であり、再出発にふさわしい布陣と云えましょう。

新しい今泉記念ビルマ奨学会が、着実に発展して、ミャンマーの新しい国造りに貢献出来る日が、一日も早く来る事を心から祈念したいと存じます。

全ビルマ会の戦友一同を代表して、今泉記念ビルマ奨学会の創立20周年をお祝い申し上げ、今後の益々の御活動をお祈り申上げます。


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理事 原田裕子様 「贈る言業」

奨学生の皆さんへ贈る言葉

奨学生の皆さんに、先ずお尋ねしたいと思います。「日本」と言えば、一番に何を思い浮かべますか。富士山・京都・それとも先日訪れたばかりの日光でしょうか。

現在は、人それぞれ連想するものが異なるかもしれませんが、皆さんがもっと年齢を重ねられた頃には、きっと同じ人聞を思い浮かべるのではないでしょうか。「オギャー」 と産声をあげてから20年。一つ一つの節目を経て、ようやく迎える「成人の日」。親として、ホっと一息つける頃でもあります。同じように、今泉記念ビルマ 奨学会も発足し、20周年を迎えるのですね。

何もない荒地を開墾し、そこに穏を蒔き、額に汗して育てた作物が芽を出す。やがて花を咲かせ、実を結ぶ。更に、期待以上の収穫となり、大きな夢まで見せてくれるようになる。これは、今泉家の歴史であると共に、今泉記念ビルマ奨学会の歩みでもありました。

私は、まだ奨学会とは10年程のおつき合いですが、その間どれだけ多くの事を学ばせて頂いたことでしょうか。今泉会長のあの柔和なお顔と温かさに包まれたら、「幸福だなあ」 という一言に尽きるのです。この思いは、奨学生の皆さんも同じではないでしょうか。

「人は人に生まれるにあらず。人になるのだ」という言策があります。それだけに良き出逢いが大切であり、その人の人生を根幹から変えることにもなるのです。」

ところで、「わすれられないおくりもの」(スーザン・ハーレイ作)という私の好きな絵本があります。これは、周聞の誰からも慕われていたアナグマが年をとり、ある日遠くへ旅立ってしまうのです。その悲しみを乗り越えようとする時、動物達の心にたくさんの思い出が蘇り、心の支えになり続けるという物語です。この本を通していつも思うことそれは、人間は出逢いと別れを繰り返しながら、多くの事を学び育てられていくということです

皆さんも今泉記念ビルマ 奨学会との出逢いと絆を大切に、そして父とも師とも仰ぐ今泉会長の志をしっかりと受け止めて、今後の会の運営に携わって頂きたいのです。創立20周年を機に、新たな旅立ちを迎えた今泉記念ビルマ奨学会」の益々の発展を祈るばかりです。

皆さんへ「贈る言業」
“Honesty is the best policy" (正直は最善の道なり)
I創立20周年、誠におめでとうございます。」


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理事 今泉博様

今泉記念ビルマ奨学会設立20周年誠におめでとうございます。
心からお慶び申し上げます。

このたび20 周年ということですが、今更ながら、もうそんなに月日が経ったのかと驚きと感動でいっぱいの気持ちです。

思い起せば20年前、今泉会長を初めとして西田、甲谷、中津瀬、亀山等の戦友の方々で、ビルマ奨学会設立に向けて熱心に会議をやっていたのがつい最近のことのように思いだされます。その後そういった方々の多くがお亡くなりになってしまい、否応なしに歳月の流れを痛感させられる昨今です。

そんな中でこの度、今泉記念ビルマ奨学会と学友会が統一されて一つの団体となり、学友を中心した組織として今後の活動を展開して行くことになったのも将来を考えると最良の選択だったように恩われます。
ビルマの奨学生たちが皆それぞれ勤勉で素直で優れた才能を持っているということは今まで長年にわたり接してきた存分に周知しておりますので今後の活躍が大いに期待され非常に楽しみです。今泉会長並びに創立した当時の方々の「設立趣旨」と「熱い思い」を当会の基本理念として今後おおいに発展してくれることを心から祈念しております。


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第1期卒業生(1-002) チィレイ Kyi Lay様

今泉清詞会長と奥様の今泉マサ会長夫人、西田相談役、甲谷秀太郎相談役、中津瀬遊理事長、亀山正作理事、相原茂吉先生、今泉博理事、吉田中勝彦理事、渡辺清理事、田渕甲太郎理事、吉野秀一郎理事、土屋顧問、品川顧問、今泉記念ビルマ奨学会学友会の理事たちに今泉記念ビルマ奨学会の発展のため、カを入れて頂いた事にこの場を借りて尊敬と感謝の気持ちを表したいです。

二十年前に今泉清詞会長と出会ったことは私にとって人生分岐点と言えます。言うまでもなく、二年間の奨学金は生活に大いに役立ちました。それに、今泉会長からもっと良い人間になるようにいろいろなことを勉強することが出来ました。

会長が実習してきた人を愛すること、人に親切に接すること、人を尊敬すること、許すこと、人と協和していくこと、皆と共有すること、人々を助けること、我慢することなどは我々にとって重要なレッスンだと思っており、これからも今泉記念ビルマ奨学会のコアバリュー(価値観)として応用して欲しいと思います。


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第2期卒業生(2-7 ) ティティレイ Thi Thi Lay様

今年で今泉記念ビルマ 奨学会は20周年になり186名の学生に奨学金を与えることが出来ました。これも言うまでもなく、今泉会長の強い信念と、ご家族の理解、また、それを支えてくれた戦友の役員の方々のビルマへの熱い気持ちから実現した事です。

2期生として奨学金を頂いた当時からこの会は日本での自分の家族であります。日本で唯一ビルマの留学生のための奨学会であるこの会は、奨学生たちに金銭的な援助をするだけではなく、愛情と友情に囲まれた自分たちの輸を広げてくれた会です。

この会に参加すれば自分のことを心配してくれるお父さん達がいる、困ったとき相談に乗ってくれる、助けてくれる仲間達がいる、それはお金以上の価値のあるものでこの会が20年間続けられた理由です。

皆の絆と信頼で母国への奨学金寄付、寺小屋の寄付、文房具の寄付、サイクロン支援といった篠々な奉仕活動も実現できました。今この奨学会は日本-ミャンマ一両国で大きな存在となって、なくてはならないものですが、20年たった今年、新たな形で生まれ変わろうとしています。

日本の事:を理解して両国の架け橋として期待できる多くの奨学生が今様々な分野で社会人として活躍しております。

20年間、今泉会長と戦友のお父さん達が様々な困難を乗り越えこの会をここまで大きくしてくれた恩返しをしなければなりません。私達18 6名の奨学生は一致団結して、両国の架け楠になるために様々な形で奉仕活動を実行し、皆さんのミャンマーに対する愛情と期待を背負って頑張らなければなりません。今後も皆で一丸になって日本-ミャンマ一両国の発展と友情のため活動を続けたいと思う次第です。皆さまのご支援とご協力宜しくお願い致します。


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第3期卒業生(3-021 ) イェジョアワン Ye Kyaw Aung様

ビルマへの強い想いからはじまった、今泉会長のビルマ学生たちへの奨学(援助)事業も20年目なりました。本当におめでたいことです。今泉会長やご家族には本当に感謝しております。

日本に長く滞在して、ビルマと日本の相違点のなかでもっとも気づかされたのは“信頼醸成"ということです。相互の信用度が低ければ社会は未発達のまま推移し、多くの問題を抱えることになり、高信頼社会では物事がうまく進み相互依存関係が成り立つことになります。

我々は今泉奨学会の過去の20年を通じていろいろと学んできたはずです。20年とは日本では成人になる歳です。種を播き、水をやり、根をおろさせてくださった方々のためにも、組織を成長させなければならないと思います。

組織とは一日一夜でできるものではありません。できあがった組織を維持するのも安易なことではありません。皆で一緒に今泉記念ビルマ奨学会を発展させましょう。今後とも、よろしくお願いいたします。


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第5期卒業生 (5-038) セインゾータン Sein Zaw Than様 

お父さんへ恩返しを

「今泉記念ビルマ奨学会」の設立20周年おめでとうございます。
私が奨学金を受けたのは16年も前の1993年で、当時の思い出はたくさん残っていますが、一番の印象に残った思い出は学友会に入ってからのことです。

財団法人日本国際教育協会主催の「外国人学生のための進学説明会」にビルマ留学生会として学友会の仲間たちと一緒に参加し、会場ではミャンマ一入学生数名から進学の相談を受け、私が各分野の大学進学のことや今泉記念ビルマ奨学金のことについて説明しました。

その1年後に彼らがそれぞれの大学に進学したうえ、今泉記念ビルマ奨学会の奨学生として私たちの仲間に加わってきたこと、そして今でも奨学会のために一生懸命がんばってくれていることに私は強い御縁、を感じていて、将来への期待も持っています。

私たちは日本で「今泉記念ビルマ奨学会」という一つ屋根の下で、「今泉会長」というお父さんの御支援と御指導を受けながら成長してきた兄弟姉妹たちであり、この奨学会のファミリーであることをいつまでも忘れすに、自分たちが巣立った「今泉記念ビルマ奨学会」の今後の発展のためにがんばり、お父さんへの恩返しをしていきたいと思います。


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第6期卒業生 (6-046) モウルイン Moe Lwin様

今泉記念ビルマ奨学会20周年おめでとうございます。
私は日本に来て19年経ちました。最初はミャンマーの大学が閉鎖している間、日本語学校に2年間くらい通い、帰国するつもりでした。ミャンマーにいる間、海外留学情報を持っていなかったことや、日本に来た後もミャンマー留学生のコミュニティーと繋がりがなかったため進学か、帰国か色々な不安を感じながらも日本語学校卒業後に大学へ進学しました。

日本では外国人であり、しかも、後発発展途上国である国が日本企業と関連性が非常に少ない中、将来のことを一番心配していました。

しかし、大学3年生の時に今泉記念ビルマ奨学会から経済的な援助を頂き、今泉会長を含め、奨学会の役員皆様が日本に親戚のいない私達ミャンマー人に対しお父さん、叔父さんのように温かく迎えてくれました。今泉記念、ビルマ奨学会の存在、特に今泉会長の温かい愛情により精神的にも強くなりました。また、毎月頂いた4万円の奨学金は、経済的に苦しい私達留学生にとって大変助かりました。

今泉奨学会だけでなく、今泉会長の目的を理解し、共感した日本戦友の方々からも毎年「ビルマの友を励ます会」を開いていただき、色々な面から温かいご支援を頂きました。また、鶴ヶ島市国際交流協会や市民の方々からも同様に温かいご支援を頂きました。
「海外で大変だけど頑張って」という応援は後発発展途上国から来た自分達にとって大きな励みになっています。

この20年間、大きな財産及び大事な時間を使ってご支援を頂いたことに関し、大変感謝しております。皆様が支援した多くのミャンマー人留学生は、留学という大きな壁を乗り越え、ミャンマーを含め世界各国で活躍をしています。これは、将来のミャンマーの発展に繋がる大事なことであります。ミャンマー国とその国民に対し今泉会長を含め、皆様が築き上げた絆は永遠に続くと私は信じております。

今泉会長、ご家族、奨学会役員を含め、奨学会活動を支えて頂きました日本戦友の方々、鶴ヶ島市国際交流協会、市民の皆様に厚く御礼申し上げます。

学友会の兄弟達へ
今泉奨学会という一つ屋根の下で兄弟のようにお互い協力し合い、励まし合ってきたことは長い海外生活の中で大きなカとなり、感謝しております。
今まで共に歩んで来た道は大変なこともあれば、楽しいこともたくさんあったと思います。どんなことがあっても、それを乗り越えて私達は迷わずに前向きで一歩一歩進んできました。誰 よりも強い精神力を持っている自分達の力を信じて頑張っていきましょう。


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第9期卒業生 (9-77) テイルイン Htay Lwin様

私は1997年4月に今泉記念ビルマ奨学会から奨学金を頂いた9期生です。私は1ヶ月40000円の奨学金を2年間続けて頂きました。日本で初めて頂いたこの奨学金は大変助かりました。当時、私は医学部の博士だったので、アルバイトは当然できませんでした。毎日研究で忙しく、生活費や学費が高い日本での生活は大変厳しいものでした。そのために、この奨学金は私にとって宝くじでした。私は奨学金を頂いた時から今まで学友会で先輩や後輩達と一緒にいろいろな活動を行ってきました。

また、今泉会長様は私達学生一人一人に自分の子供のようにいろいろな事を教えて見守っている気持ちを感じて非常に尊敬しています。そして、初めて会った時から今までも全く変わらない会長様の優しさに対し自分の父ように本当に感謝しています。

今年から、この奨学会に代わり、ミャンマーにいる学生を支援する新しい計画を作られたのを見て会長様の我々ミャンマ一人達に対する気持ちは自分の子供よりも大きいのではないかかと思っています。これからもこの新しい計画が長く続けられるように努力したいと思います。


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第12期卒業生(12 -099) モーモースエ Moe Moe Swe様

私が来日したのは11年以上前で、今泉記念ビルマ奨学会の会員になってからも9 年が経ちました。会員になれたことにより、私にとっていろいろなメリットがありました。友達が少なかった私は友人や友達が増え、先輩や後輩もできました。それだけではなく、悩みや困ったことがあった時に皆と相談し、様々な情報を交換して仕事のストレスも発散することができました。

今泉会長さんに会うたびいろいろな話をし、会長さんの貴重な意見を聞いたり、教えてもらったりすることもありました。その話の中で私にとって今までも忘れられないことがあります。それは“幸せって何ですか?"という私の質問に対し会長さんは“幸せと言うのは幸せを待ってるのではなく、自分で探してもらうことです"と教えてくれました。その言葉は私の心に今までも残っています。幸せのことを考えると会長さんは私のそばにいて言っているように感じます。

あまり笑わなかった私は会社の同僚や友達と会うたび笑えるようになりました。これも今泉会長さんと知り会えたかたできたことだと思います。私達を自分の子供のように親身になっていろんなことを教えてくれ、面倒を見てくれる親と言っても過言ではない今泉会長さんは私にとっていなければならない存在であります。

2 0年の長い歴史の中の半分近い期間において今泉記念奨学会に携われた事に感謝をし、誇りに思う心は、これから歩む人生においての強い支えとなる事でしょう。

今泉記念奨学会永遠であれ


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第12期卒業生 (12-108) マートイナンアオン Hto i Nan Aung様

来日して今年で11年になる私が今泉ビルマ 奨学会を知ったきっかけは奨学生先輩でありました叔母からでした。そのように世代から世代へと広げてきて19年間で190人ぐらいのビルマ の留学生遠の生活支援を奨学金という形で援助して下さいました。

また月に一回、同期の皆で集まって話し合いの場を持ち、交流を深めることができました。その場でとても貴重な一年間(場合によっては2年間)を体験することによって時には人生のパートナーを、時には生涯支えあえる友人を奨学生の皆さんはでそれぞれ得られたと思います。

わたしくしの場合、今泉会長が何度も私達に伝えようとしていたどルマ(ミャンマー)と日本の架け橋になるという言葉を心に刻み、本日に至って来ました。大学院卒業後一度はミャンマーと関わりのなし、仕事に付きましたがどうしてもミャンマーと日本の架け橋になれという言葉を忘れられずミャンマーと輸出入を行っております現在の会社に転職することに致しました。

今は日々ミャンマー/ヤンゴンにある支社とやり取りしてビルマ(ミャンマー)からの海老を日本の消費者に届く仕事に立ち触っております。日本のお客さん(バイヤー)を連れてビルマ(ミャンマー)の海老加工工場を訪れることもあります。

天然資源は豊かですが未だに特殊な政権下に置かれておりますビルマを訪れる前は不安やマイナスな固定概念を持っている日本のお容さんにいかにミャンマーの事を理解してもらえるようにするのかが私の務めになっていると実感おります。

日本とミャンマーの架け橋になるという大きな夢に向かっている途中のわたくしではありますが大学生の時に今泉ビルマ奨学会と出会ったおかげでそげ目標を定めることができた事、また同じ目標をもった友人達を得ることができた事を深く感謝しております。これからも今泉ビルマ奨学会の奨学生であったことを誇りもって生きていきたいと思います。

今泉会長様をはじめ、今泉ビルマ奨学会のメンバーのご清栄とご発展をお祈り致します。


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第13期卒業生(13ー109) ニニウィン Ni Ni Win様

皆様、お元気ですか。
私は、2000年10月に留学生として日本に参りました。2001年4月に大学院生として、東京医科歯科大学麻酔・生体管理学分野の勉強を始めました。卒業後、更に2年間、博士研究員として、勉強や研究を続けることができました。日本に7年間おりました。現在は、マレーシアで仕事をしております。

私は、東京医科歯科大学の先輩から、今泉記念ビルマ奨学会(IMBSF)のこと(戦争のとき助けてくれたミャンマ一人の,恩返しとした奨学金制度)を聞いたときは、喜んでびっくりしました。

私は、最初は、文化や気候、食事、言葉などの違いのため、ホームシックになってしまいましたが、2001年4月にIMBSFから奨学金を13期性として]頁きまして、会長さんとミャンマー人の友達に1ヶ月に1回あうことができました。

自分の苦しいことも含めて、ミャンマーと日本の文化などについて、話すことができて、とても気持ちのよい一時でした。また、会長様から色々なご意見を頂きました。初めて会った日は、帰りの時、会長様に駅まで見送っていただきまして、戻を流してしまいました。

ご家族のように、お父さんのように、あたたかく受け入れていただいたためです。そして、みんなで一緒に料理をしたり、文化活動をしたりしながら、日本の文化などを身近に習うこともできました。私は、「母国であるミャンマーのために頑張って下さしい」という会長様の言葉は、一生忘れません。

この間、故郷に帰ったとき、お坊さんが世話している小学校を見て今泉記念ビルマ奨学会創立20周年に寄せて、建て直すことができればと思いました。私一人の力では無理でしたので、ミャンマーを知っている、私を愛している、先生たちゃ友達たちにお願いしてみることを考えました。

お陰様で、私の故郷にある小学校を建て直すことができましたことを、心より感謝しております。学校を建て直すということは、子供一人一人のためだけではなく、その家族、村、町、国の将来の発展のためであって、とても素晴らしいことです。

仏教の考えとしては、皆さんは今回寄付をすることができたのは、この子供たち、そして村の人々、と縁があるためです。また、自分がとても素晴らしいことをしたことを、いつも思い出して頂きたいと存じます。本当にどうもありがとうございました。

私は、これからも、自分のできる範囲で、この小学校を守ることができるように頑張りたいと思います。


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第13期卒業生 (13 -111) ピョーナイントオン Phyo Na ing Tun様

「今泉記念、ビルマ奨学会」の創立20周年になりまして、誠におめでとうございます。

このように長い年月の様々な困難を乗り越えて現在に至るまで、成果を出せたのは皆で力を合わせたからだ.と思っております。心身ともに全力を尽くして来た今泉会長を始め、当会の役員、戦友の皆様、学友達、他のご、協力者・ご支援者達に対し、心から敬意を表すとともに感謝を申し上げます。

当奨学会は今年(2009年)で新しい幕を開けました。奨学会と学友会が合併し、新組織としてミャンマー現地に於いての奨学金支援活動を中心に行い、他の交流活動も続ける事になりました。

今後は学友達がメインメンバーとして活動を行います。私も新組織の一員として任されました。

私を含め、学友達は「今泉記念ヒ守ルマ奨学会」のこれからの雁史をつくる役割lでもあると強く感じました。今まで、今泉会長や奨学会の役員達に甘え、ご迷惑をかけた事も沢山ありました。

このようにいつまで経っても今泉会長に頼っているばかりでは、私達奨学生を育てた価値はありません。自分達で奨学会を運営管理し、会長の期待に応える事が会長に対する「恩返し」になると思います。

その為、当奨学会の概念・目的や今泉会長の意志をしっかり受け止めて、会の発展や成功のために皆で、力合わせて活動して行きたいと考えております。今後とも宜しくお願し、致します。


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第13期卒業生(13-116) ティンミョー Thein Myo様

今泉記念ビルマ 奨学会の20周年おめでとうございます。
母国を離れ外国で勉学することになり、人は一人では限界があることが理解できました。外国に来ている誰もが出会う「悩み、困難など」のときに、相談できるのが友達(親友) ではないでしょうか。

私は大学1年生の時に、千葉に引っ越し、近くに親友がいなくなり、地域になじみがなく落ち着かない毎日で寂しさを感じていました。毎月今泉会長さんの所へ奨学金を頂きに行くのを楽しみにしていました。
そこへ行けば友達と会え、会長さんの今までの人生で学んできた価値のある宝言葉をが私に勇気を与えてくれました。

私がこの今泉ビルマ記念奨学会の奨学金を受けたときから、皆と仲よくなり相談しやすい人が多く出来たので、凄く嬉しかったです。そのような環境ができたのも今泉会長様のおかげではないでしょうか。今泉会長様は私達に経済的支援だけではなく、精神的な力、必要応じて相談に乗ってくれます。

私にとって、凄く尊敬している人です。今泉会長さんにいろいろな話を聴かせていただき、その中で私の心に残っているのは、「いくら機戒の部品を集めても、それを組み立てて利用しないと、機械として使い物にはならなしリということでした、この言葉を解釈すると、「私は今勉学中なので、自分が今まで学んだことを良い所に実現することによって、社会に貢献できるようにすること」という意味であると考え、勉学に一緒懸命頑張って行きたいと思います。

この今泉ビ/レマ記念奨学会の奨学生になれて、良かったと思っています。そして、私を支えてくれ、勇気を与えてくれた奨学会のこと、学友会のことなら、出来るだけ力になりたいと思っていますので、今後とも宜しくお願いいたします。


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第14期卒業生 (14-123) リムスウンキョウ Lim Swan Kyoo様

まず20周年、おめでとうございます。

今泉記念ビルマ奨学金会から奨学金を受け取った2年間の聞に、今泉会長を含めたくさんの日本人の方々、同国の先輩たち、また同じ国の留学生と様々な行事やイベントを通じてコミュニケーションをとったり、楽しく接する事ができました。

そして今まで出会った人々も忘れず、新たな奨学金生と接する機会にできるだけ参加し、今泉会長を含め年配の方々が元気でありますようにお祈りしています。


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第15期卒業生(15 -134) ランムゾー Hlwan Moe Zaw様

今泉記念ビルマ ・奨学会と奨学会の学友会が統合し,新組織として活動して行くにあったて新組織に期待すると共に不安も隠せません。

奨学会としては,従来のような会長を中心とした組織から、組織委員会・事業委員会・奨学委員会を中心に奨学会の活動を行い, それらの委員会を専務理事と理事長が取りまとめ,会長が支復するといった機能性を強化した新組織に生まれ変わり,こらからの活動に大いに期待しています。

しかし,新奨学生の募集を中止した2008年からは奨学会の集会などで参加する学友メンバーが激減し,特に後輩の学友の姿がほとんど見かけません。新組織の発足を機会に、奨学会としてあるいは奨学会の一員として私たちが,奨学会の従来の目的を達成させるために,改めて原点に戻って考える必要があります。

特に, これからの奨学会の活動に一時的に奨学会から離れている先議や後輩達が集まりやすくするため,私たちの努力と行動が問われる時期であると感じています。


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第15期卒業生(15-137)  トワエトウエウイン Twe Twe Win様

私は今泉記念ビルマ 奨学会に出会えて良かったと思っています。今泉会長様をはじめ、第二次大戦後退役軍人達や学友会の先輩・後輩達のおかげで私は今まで徐々に成長して来たと思います。

私は学費や生活費が高い日本に進学して困ったことが多くありました。自分一人では出来ない事もたくさんありました。そこで、仲間や知人が多くいるほど情報や知識も多く頂けると思います。

私はこの奨学金を大学2年生の時から2年間続けて頂いたため非常に助かりました。この奨学会で一番よかったと思ったのは、毎月奨学金を頂くだけでなく、会長様から直接いろいろなメッセージや知識を頂けることや友人達と会えることでした。

そして、研修旅行や機々な活動を通じて私たちはとても仲良くなれたと思っています。私は学友会の先輩や後輩達からいろいろな情報や助けを頂いたことで、今まで困難なことを乗り越えて来ました。

今泉記念ビルマ奨学会は大家族のように温かく、お互い感謝の気持ちで成り立っているではないかといつも考えて感謝しています。

これからも仲良くして今泉記念ビルマ奨学会をもっと長く続けるように頑張りたいと思っています。


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第16期卒業生(16ー140) ゾーナインウィン Zaw Naing Win様

3月26日、日曜日に奨学生たちと茶道を勉強しに行きました。色々なお茶の話を学ぶことはできてよかったと思いました。

最初、お茶を飲む前に、建物について説明がありました。日本には昔からお茶を飲む習慣があるという文化を知りました。

つづいては、菓子を先に食べて美味しいお茶を飲みました。日本でお茶を飲むというのはいろいろな意味があるのがよく分かりました。

説明するとき先生は私達に分かるようにゆっくり話してくれました。

一人では今のように学ぶことはできないと思います。今泉奨学会の人たちと一緒に勉強することができてとてもよかったです。

先生たちも親切でいろいろ教えてくれて本当にありがとうございます。これからも日本の文化について教えて下さい。よろしくお願いします。


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第16期卒業生(16-141) ズィンミィネェウィン Zin Mie Ne Win様

この年を振り返ってみて、本当にたくさんのことがありました。日本に初めて来て戸惑うこともありましたが、そんな時、この今泉記念ビルマ奨学金をいただいて、とても心強く思いました。

日本に来た当初は友人も少なく寂しかったけれど、この今泉奨学会を通じてたくさんの友人と出会うことができました。精神的につらいときや何か困ったときなど、お互いに相談することもできて本当によかったと思います。また、ミャンマーの友人に会うだけでなく、日本と自国の習慣の違いについても教えてもらい、とてもためになりました。

去年は一年目でまだまだ分からないこともありましたが、今年は今までの経験や知識を活かして、今泉奨学会がよりよくなっていくように頑張りたいと思います。そして、経済面はもとより精神面でも助けになるこの今泉奨学会を大切にしていきたいと思います。


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第16期卒業生(16-144) マニュンニュン Nyunt Nyunt様

日本に今泉記念ビルマ奨学会があることは、ミャンマー人にとってありがたく名誉なことだと感謝しています。

外国にありながら自分の家、自分の家族が身近にいるようなものです。今泉記念奨学会からの奨学金をいただきましたことは本当にありがたく存じます。

日本に来てからいろいろ悩んだこともありましたが、会長と学友会の皆様のご経験とお話しをうかがうことができたからこそ、私も日本で頑張れる元気を頂きました。


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